阪神大震災から26年が過ぎました。
もう四半世紀以上も時が流れ、記憶も薄れつつあります。
私は阪神大震災被災者で、家族も失っています。
一年に一度思い出すことが弔いになるのか。
特集を組まれることは悲しみを思い出すことになるだけじゃないのか。
どう向き合うのが正解かは今だにわかりません。
例えば、戦争などは子供達に悲惨さを伝えて絶対に起こさないように、殺し合いなんて悲惨なことをしないようにと教えることが出来ますが震災の悲惨さを伝えることは何に繋がるんだろう?と思うことがある。
誰も悪くない自然災害。
防ぎようがない。
もちろん防災訓練や防災意識を高める。
いつ起こるかもしれない。気を引き締めてもしものために備蓄をするなどは有効だと思う。
亡くなった方々への弔いも大事だと思う。
でもあまり思い出したくない人もいるだろうなとも思う。
辛い出来事にさらに辛いことが重なった26年前。冷たい人もいたけど、あたたかく、こんな時ほど命をかけて助けてくださった人もいる。
『しあわせはこべるように』の歌に
亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこう
という歌詞があるけどそう思えばいいのかな。
それもよくわからない。
防災や備蓄は運良く生き残った時に、どうやって生きのびるかということにすぎない。
命あってのこと。
災害で生き残るのは完全に運、それは生き残った自分が実感している。
正直、経験を活かせるかなんて生き残らないとわからない。
生き残った自分が何を伝えて何の役に立つのかわからないまま26年も経ってしまった。
ただ悲しんだりするだけでない何かを伝えることができるといいなと、今年もしみじみ感じ答えはまだ出ていない。