私自身は高校の時に不登校気味だったので、何とか学校を卒業できたレベルです。
原因はよくわからないけど挫折だなと思う。
今までの価値観が壊れて、どういう風に生きたらいいのかわからなくなっていた。
なんとか学校に行っているだけだったけど、進路について自信をなくしたり、自分のやりたいことを見失ってしまったりしていた。
ずっと理系が得意だったから理系にすすむつもりだったけど、ある宗教で文系がいいと言われたことと、担任が嫌な数学教師で見下すような人だったので、諦めてしまった。
文系はもともと得意ではなく、あまり面白くもなかったが不登校気味だったし、人の心に興味があり、悩んでる人を助けたい気持ちが出てきて心理学のある学校に行きたいなって思い出した。
これも、ある宗教の見解では心理学を勉強するのは心によくない。病むとのことで諦めてしまった。
何かにつけ、自信がなく、宗教をよりどころにしてしまった結果、意欲のない方にばかり流れてしまい、後悔した。
お金の自由がなくて、あの時違う道を選んでたらもっと自由にお金を使えたり発言ができたのにと思うことはあるけど、今は幸せに暮らしている。
そして、今、周りに不登校の子があらわれることによって本を読んだり、ブログを読んだり、心理学を知りたいと思い出した。
今までは、ピンとこなかったことも親になりわかること、当時のことを思い出してわかることがあり、ふにおちることが増えた。
昔と今の違い。
客観視すること。
つながり。
当時、母も周りの大人も良かれと思って色々と考えてくれて、押し付けてくれた。
それが宗教だったりするのですが…
何が私を頑張らせたかはぼんやりとしてわからないけど、不登校の子が親に求めていることは思い出せた。
PTAをしてるころ、学校が荒れていて、仲間のお子さんもうちも色々嫌なことがあったよう。
そんな時は、うちは、お茶とお菓子でも出して、話したそうなら話を聞く。
子供が思うことを否定しない。
何なら私は一緒に変な子やねって若干ディスりながら共感してるよーって話してた。
そうだね。それ間違ってないよねって仲間は言いながらみごとにお子さんは元気になって更なるステージを自分で切り拓きました。
心理学や不登校について学んで、これが実はとても大事なことで、私と仲間は自然と実践でき自己肯定感を養うことができたようです。
子供は嫌なことがあった時、母に話すことによってスッキリする。
気持ちを聞いてもらえたことで安心する。
これが聞いてあげれない、否定するなど悪いサイクルになるとモヤモヤが溜まり、出来事を忘れてしまい、自信がなくなり不登校につながるよう。何が嫌で学校に行きたくなくなったのかわからなくなる。
真面目な親ほど、それは違うよとか否定する可能性があるなと感じた。
私は毒舌な親なので、それがいいか悪いかはわからないけど、子供のみかただよって示すにはわかりやすいようだ。
実際、お友達の娘さんとわたしがちょっと毒を吐いたのだが、生き生きと話にのってきたのが印象的だった。
ママがいい人でなかなか本心を言う機会がないのかな?と思った。
普段から本音を話せるのは心の健康にいい。
子育ての最終目標は自立で、私も子供にとって足を引っ張る親にならないように子供の人格を尊重して、愛情を注ぎたい。
過干渉、過保護に気をつける。
これ大事。
学生時代にやりたかった勉強。
今からでも遅くないというより今が旬。
算命学も含めていっぱい勉強したい。
あー時間が足りない。